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序
三品 彰英
『日本書紀』は『古事記』とともに現存史籍の最古のもので、 歴史に関心をつなぐ学徒の必読の古典であり、 従ってその研究書も古くは『釈日本紀』にはじまり、 爾来汗牛充棟の形容もなお不充分なほどにおびただしい。 私たち同好のものが集まって書紀の輪読をはじめてから既に数年を経て今日に及んでいる。 メンバーの数も増えて十数名となり、 何時の間にか「日本書紀研究会」という名がついてしまったが、 研究会などと呼ぶにふさわしくないなごやかな楽しい寄合なのである。 会合の人たちは総じて歴史家といってよいが、 考古学者あり、また民俗学・文化人類学に造詣の深い人たちもあって、 それぞれの学的関心によって書紀の内容が多くの側面から検討され、 それだけに読解の幅も広く、議論の華を咲かせるのが常であった。 会場も処々に変り、春夏秋冬、色々の想出が、 研究の内容と結びついて忘れ得ないものになっている。 また輪読だけでは物足りなくなって、途中から研究発表という形で、 各自の論文を発表することになったが、これとても互に遠慮のない仲間なので、 ためにもなりまた楽しい論評に時を過ごすのであった。 そうしたことから折角の成果を盛った論文集を刊行してはとの意見が誰からともなく出て その準備が進められた。
丁度文部省昭和三十八年度各個研究費が私の「日本書紀継体欽明両紀の研究」に対して 与えられたので、それを研究会の諸費にあてると同時に、 懸案の論文集刊行費の補いに適すことが出来たし、 小林行雄氏の骨折りで塙書房からこの論文集を出版することになった。 編輯された論文の数は十一編で内容は一様でないが、 いずれも書紀に関係のある点で統合されている。 論文集は続編を予定しているので、 今後と高好の学界に利用していただける節もあるかと話し合っていることである。
『日本書紀』の読解は難路であり、前途をさえぎる高峰の数も多く、 その峰々を極めることはまことに至難のわざである。 だがそびえ立つ峯が高きが故にこそわれわれの熱情をそそるのである。 峻峯は遠い彼方にあるにしても、 このささやか論集が前進すべきキャンプの一点になり得るとすれば、 わたくしたち一同の望外のよろこびであり、併せて世の好意に謝す以所ともなろう。
昭和三十九年五月二十九日
三品彰英識
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