『日本書紀研究』第20冊

発足当時の思い出

井上 秀雄

「日本書紀研究会」が発足した一九五八年七月から一九六二年までの正式な経過は、 「朝鮮学報」二四輯(別称三品先生還暦記念『日鮮古史彰考』)彙報に、 江畑武「日本書紀研究会紹介」に詳しくみられる。 今それを読み返しながら、当時の思い出の一、二を、記念に残しておきたい。

「日本書紀研究会」の発足を何時にするかは、人によって多少違いがあるかと思う。 それは三品彰英先生を中心に、『日本書紀』の研究者が集まり、 いわば自然発生的に研究会が成立したためである。 そうは云ってもいくつかの節目がなかったわけでもない。 第一段階は、1958年1月にハーバード・燕京「東方学研究」で、 「朝鮮研究会」ならびに「三国遺事研究会」の設置が認められ、 研究・出版の助成を得たことからはじまる。これらの研究会は、同年七月一日に発足した。

「三国遺事研究会」が発足して、毎月二回の会合が持たれていた。 この年の夏休中のことと思われるが、研究会の準備をしていたとき、 三品先生から『日本書紀』の朝鮮関係記事について、いろいろ質問をされたが、 ほとんど答えることができなかった。 その頃、三品先生は『日本書紀』引用の「百済三書」について 論考をまとめておられたからであったと思う。私の返事が未熟であったため、 朝鮮関係記事を読もうではないかといわれた。私にとってはこの時が、 「日本書紀研究会」の発足だと思っている。そしてこの研究会は、この年の秋口には、 雄略・継体紀を中心にした「朝鮮関係記事を研究する会」として発足した。 最初の会員は「三国遺事研究会」のメンバーと同じで、岸俊男先生などの顔が見えていたと思う。

この時期の研究会は、まだ「日本書紀研究会」とはいわなかったと思う。 また、「三国遺事研究会」と密接な関係があり、多くの場合、 前半に「三国遺事研究会」を、後半にこの研究会があったように思う。 私の意識からすれば、研究会というより、参加者の少ない大学の演習や講読のようなもので、 息を抜く暇もなく、みっちり勉強をした時期であった。 勉強はけっこう辛かったけれども、昼の休みに烏丸今出川の角のラーメン屋に行き、 好きな物を御馳走になり、楽しい一時を過ごすことができた。恥ずかしい話であるが、 いわばラーメンに釣られて『日本書紀』の講読に励んだようなものである。

「日本書紀研究会」が正式に発足したのは、1960年5月13日であったと思う。 今はなくなったが、かのラーメン屋の筋向かいの同志社大学大学院の文化史学科教室を借用して、 関係の書物を持ち込み、研究体制を整えた。その頃から江畑武氏を中心に、 「書紀研究会誌」や研究資料などを整備し、会員に配布することになった。

ここで覚えたことは、史料類をコピーすることであった史料類のコピーは、 学部卒業後間も無く三品先生から教わった最初は確か青焼きの日光写真で、 和装の『三国史記』や『三国遺事』を写し取ることから始まったと思う。 この頃の日光写真は、原紙を和綴の袋綴になったところに入れ、ガラスの板で挟んで、日光にあてる。 日照時間が短いと下地が青くて読めず、時間が長すぎると字が薄くなり、 使い物にならなくなってしまう。また、ガラス板を挟んで日に当てるのも結構労力のいる仕事で、 骨の折れる作業である。それでも筆写の際の誤字.脱字がなく、 正確に写せるといってこれを愛用していたその後複写機が発達し、利用価値が多くなり、 ますます利用度が高くなってきた。当時は、史料を筆写しないようでは、 研究者になれないとよく云われたが、やはり三品先生の教えが正しかったように思われる。

三品先生の学風は、良く知られているように、文献史学を中心としているが、 考古学・文化人類学・神話学・言語学等々にも造詣が深く、 これらの諸学の総合を目指しておられた先生の諸学を総合する能力は天稟のものでありましょうが、 その性格は日常生活にもおよび、何事にも積極的で、とくに知的な好奇心は人一倍でした。 当時、学生は「火事の鐘の音とともに飛び出す消防車のような」といったりしました。 これは学窓に沈潜できなかった者が身勝手な解釈をして、自分を励ますよすがとしていたのです。

この三品先生の性格が、日光写真やパンチカードの前身である書紀専用の カードになったものと思います。そして、多方面の研究に関心を持ち、 これらを総合する新しい学問を創造されたように思います。

「日本書紀研究会」は、地道な研究会の少なかった時期だけに、 旗揚げすると間もなく各方面から参加者が集まり、書紀研究者の大半を吸収する勢いでした。 1960年10月、三品先生が、同志社大学を辞任し、大阪市立歴史風俗博物館長に就任された。 そのため、会場が京都から大阪に移ったが、研究活動は軌道に乗り、 四年後には、その成果を『日本書紀研究』第一冊にまとめられた。

三品彰英先生は、1971年に亡くなられたが、多くの良い後継者を育てられ、 その後の日本古代史や朝鮮古代史の研究に大きな功績を残された。 中でも、「三国遺事研究会」は村上四男先生が引き継がれて、 『三国遺事考証』上・中・下之一~下之三巻を刊行された。 また、「日本書紀研究会」は横田健一先生が引き継がれて、 『日本書紀研究』第六冊以降刊行され今日第二十冊記念号を出版されようとしている。 三品先生の蒔かれた種が、大輪の花を咲かせたというべきであろう。


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